福井県における油桐栽培

福井県における油桐栽培

拾い集めた油桐の実 拾うのは人海戦術

 

江戸時代の油桐歴史は4段階に分けられます。

①試植段階 酒井藩主のもとで油桐を栽培し始めた

天正17年(1589)2月19日付けの、「油キリをいたずらに切り取ってはいけない」と、御賀尾浦(神子浦)の百姓に出された注意書き(大音文書)が・・(三方町史)

②過銭徴収段階 藩が油桐栽培を奨励、油桐を管理し保護していった

貞享4年(1687)に、個人別に油キリを栽培している場所や、木の大きさなど栽培状況を詳しく調べた「桐之帳」(大音文書)には、油キリを枯らした者や、切り取った者に対する罰則が定められており、油の需要が盛んになるにつれ、藩でも油キリの保護に努めた(三方町史)

③開畑段階 猫の額ほどの土地でも油桐畑として次々に開畑していった

寛保元年及び寛保2年(1742)の開畑野帳及び新開畑があるが・・その年の開畑の合計は1町8反3畝で、内訳1町7反9畝15歩は油木畑で約4,000本植付け・・次の寛穂2年ほぼ同じ広さの開畑が出来、4,844本の油木を植付けている。(西田村誌)

④貢祖徴収段階 米だけではなく油桐も税金の対象として物納したり、油桐が借金担保になった

開畑が完了した寛保元年に、村内の開墾した家と反別本反をかきあげ一坪一合の分米を徴収し一町三畝七歩に対して五石四斗九升七合の分米が課されることになつたのである。(近世若狭地方の“油桐(コロビ)”の歴史)

この④段階が明治時代まで継続しました。しかし、明治に入ると秋田や新潟で石油採掘が始まり、石油ランプやガス灯が普及し始め、燃料としての桐油の需要が落ち始めました。そのため油桐栽培をやめる地域が増え始めました。

タイトルとURLをコピーしました