油桐は何に使われていたのか

桐油は何に使われていたのか?

前回は、福井県における油桐栽培の歴史を見てみました。本格的に栽培が始まったのが江戸時代初期から中期にかけてです。そして一番最後が昭和44年(1969年)で、約350年続いた油桐産業が消えました。ちなみに敦賀と美浜で原子力発電所が運転を始めたのが翌1970年からです。

では、搾油された桐油は何に使われていたのでしょうか。栽培が本格化した江戸時代初期の書物である「農業全書(1697 年初版発行)」にも桐油の使用方法が載っています。

  • からし油を三分一合せ、塩少入て、燈油にして、光よく、ながく燈る物と云り。又雨衣<かつハ>にぬりて、無類なり。桐油がつハと云ハ、今ゑのあぶらにて作れども、もと此あぶらにて仕立る物なるゆへ、かくハ号するか。又是を漆に加へて、器物をぬり、又ハ松脂とねり合せてハ、漆にかへ用ひて器物をぬり、船をぬる(農業全書)

 

灯油としての使用、カッパの防水剤としての使用、漆の固着剤として江戸初期から使用されていたことがわかります。しかも色々と工夫していたようです。江戸時代から船の防水・防腐剤としても使用されていたようです。

続いて町史などの文献から拾ってみました。

  • 油桐の実から搾取する桐油は、従来、油紙、油布、雨衣、雨傘の製造用に供せられ、石膏と混和して桐油灰を作り、他の植物性油と相合して燃料を製し更に油墨を調製して磁器硝子等の写字用に供していたが更に最近では、仮漆塗料として、ペイント、ワニス、リノリウム、ゴム代用品□油絵具の製造に用いられ、又ペンキ製造原料にも供せられ、軍需工業として、飛行機、軍艦等の塗料とされる等、広汎な用途が拓かれたのでこれで原料不足に陥り・・・(台湾日日新報)
  • 提灯や雨傘の和紙にしみこませて防水用に用いられるほか、塗料や印刷用としても用いられた。(美浜町誌)●小浜の市場で若狭和紙に塗って乾かし、それを何枚も重ねてタゴモ紙(雨合羽)にして売っていた。それは赤い色に塗ってあった。(美浜町誌)●若狭は近世以来、キリ油の生産地で、電灯のないころは灯油として広く使用された。(三方町史)●大部分は大垣・小浜の精油所に送られ、搾ってペンキ用の油その他になる。藩政時代は桐油は灯油として必需品であったが、明治初年の石油輸入によって没落し、その後又工業用原料として復活し、日露戦争後は再び支那油の輸入によって品質・価格の両面に於いて圧迫されたが最近又盛んになり(西田村誌)

 

様々な用途に使われてきた油桐の木

 

生活用品としては、灯油用、雨合羽・唐傘・提灯などの防水剤として、工業用としてペンキや印刷用インクなど、軍需用として飛行機・軍艦の塗料、飛行機のエンジン潤滑油などに使われていたようです。

現在は、木材の防腐剤、ギターやバイオリンのつや出し剤、絵の具の固着剤として使われています。非常に耐水性、乾燥性に優れた油です。しかし、日本で使われている桐油はすべて中国からの輸入品です。

油桐に関しては特に需要が高かった戦時中にかなり研究がされていたようで、成分分析から用途方までかなり詳細な記録が残っています。また、油桐の研究は日本だけではなく、アジア諸国、アメリカ、ロシアなどで研究されていました。

油や樹皮のタンニン、研磨炭は主に工業用として使われていたのですが、庶民の暮らしの中でも油桐は様々に工夫されて使われています。

下駄も各家庭で作られていたようですし、嶺北地方の葉寿司も各地域で祭りの時の食文化として根ざしています。

下駄
葉寿司・具材は地域のよって結構違いがあります。

 

特に農業とは切り離すことができません。搾り粕は肥料として高値で取引されていたのですが、種を外した果肉も肥料にしていましたし、それは鼠よけに使われていたようです。また、果肉の灰の絞り汁も洗浄用に使われていたようです。

油桐の絞りかす・圧搾方式で絞りました。 油桐油

 

油も江戸時代には農薬として使われていました。それは今でも石碑として記録が残されています。小松市に2つの虫塚があります。この虫塚は、防除法の記録を後世に残すことと、虫の供養のためです。

当年7月中旬頃より俄に稲株よりコヌカ虫多く生じ、悉く稲を枯らし、一統難儀に及び布木綿の袋をもってとり集め候

虫此所に16俵埋めおく、若し、この末、虫生る時は草修理の頃、早く木の実油を用ゆれば愁うすかるべし。

 余は除蝗録に委し。虫の愁を恐れ後年の記録に之を建てる。

 

 岩渕町虫塚 植田町虫塚
タイトルとURLをコピーしました